1.出会いと日常の始まり
東京の港区にそびえ立つ、30階建てのテナントビル。
派遣会社の担当者と達也は二人で進んでいく。
世界有数の外資系証券会社はその4階から13階までを借り切り、約1800名の社員が働く。
4階の警備室で社員証を受け取った達也は、総務部がある6階へと向かった。
廊下は閑散としており、人の気配はほとんど感じられない。
オートロックシステムの扉は、センサーに社員証をかざすと、
「ピッ」という電子音と「ガチャッ」という開錠音が鳴る。
扉の向こうに広がるのは、アットホームな雰囲気に満ちた総務部のオフィス。
派遣会社の担当者が社員に鈴木を紹介する、鈴木が社員と挨拶をし、
続いて、派遣社員たちとも挨拶を交わす。
派遣社員は達也を含めて男性が4人、女性が1人の計5人で、その女性が村越千絵だ。
千絵は達也より1年早くこの会社で働いており、年齢は24歳。
大きな瞳で目尻がキリッとしていてクールな印象を与えそうだが、
口角が上がりいつも微笑んでいるかのように見えるので、それが彼女を柔和で愛らしい雰囲気にしていた。
達也が最初に千絵と会った時、特別な感情はなかった。ただ「笑顔の素敵な女の子だな」と思った程度だ。
一方の千絵も、達也を「新しく来た派遣社員の一人」として見ていた。
お互いおざなりの会釈を交わす程度から始まった。
達也の仕事は、建物の定期メンテナンスや社員のリクエストに対応する雑用係だ。
派遣された翌日から、彼は毎朝一番に出社するようになった。会社の静寂の中、
パソコンの電源を入れる音だけが響く。そしていつも達也の次に出社するのは、
千絵だった。彼女は電話やメールで社員のリクエストを受け付け、
それを男性派遣社員に伝えるデスクワークを担当していた。
数ヶ月が経ち、達也は誠実で真面目な仕事ぶりですぐに業務を覚え、
周囲からの信頼を勝ち取っていった。正社員からの評価も高く、
いつの間にか派遣社員のリーダー的な存在になっていた。
しかし、温和な性格の達也は、偉ぶることはない。他の派遣社員たちと軽口を叩き合い、
笑い合えるような和気あいあいとした雰囲気を作っていた。千絵もまた、達也の仕事ぶりを見て、
他の人たちと同様に信頼を寄せるようになった。
達也は面白い人で、一緒にいると安心できる。そんな好意は抱き始めていたが、
それはあくまでも同僚としての感情であり、決して男性として意識することはなかった。
ある日、男性派遣社員が全員出払っている時に、急な荷物移動のリクエストが入った。
千絵は、何階の何課と内容をメモに残して、一人で対応に向かった。
しばらくして戻ってきた達也は、デスクに残されたメモを見て、
一目散に千絵の元へと駆けつけた。千絵が抱えようとしていた箱をひょいと受け取ると、達也はにこやかな表情で言った。
「女の子がこんな重いもの持っちゃだめだよ」千絵は「女の子」と言われたことが、何気に嬉しかった。
総務部では、派遣社員同士が仲が良いことは周知の事実だった。
それは達也と千絵も例外ではない。だが、他部署の社員の中には、
「二人は仲が悪いのかな?」と冗談とも本気ともつかない目で見る者もいた。
二人は九つもの年の差を感じさせないフレンドリーなものになっていた。
達也が派遣されてから数ヶ月が経つと、二人はプライベートな話をするようになり、
お互いが映画好きという共通点を見つけた。
やがて、携帯番号と個人のメールアドレスを交換するまでになっていった。